フラッシュバック

自分が子どもの頃の虐待を自覚したのは今年の2月でした。

主に母と兄から酷い扱いを受け、父も母の言葉を鵜呑みにし、自分を叩き、怒鳴るなどしていました。

2月を機にもう実家や家族とは縁を完全に切ってしまおうと考えたのですが、父だけは毎日のように慣れないiPhoneでメッセージを送ってきます。

初めはただ恐怖でしかないそのメッセージも次第に自分を想っての文章だと納得して、結果6月には父だけと会いました。

「今までごめんな。これからはお前の自由に生きていいんだよ」と言葉をかけられ、色々な思いがほどけた気持ちになりました。


しかし2月から変わらず続くのがフラッシュバックです。

ふとした瞬間に過去の思い出したくない記憶が頭をよぎって苦々しい気持ちになります。

起きている時だけでなく、寝ている時には夢に出てきます。

ほぼ毎日のように続くものですから、感覚が鈍磨するほどになり、かぶりを振ったり大きな声をワッと上げることで解決してきました。


そして先日(9月初旬)、父と再び会う約束をしました。

前回とは違い、和解をした上で会うものですから気楽なものだと思っていたのですが、実際はかなりハードなものでした。

実家から数駅離れた市街地で会う約束をしたのですが、電車が実家近くに行くにつれ気持ちがザワつき落ち着かなくなってしまいました。

とりあえず頓服薬を飲んで落ち着きつつ、父とは何事もなく食事をしながらお互いの近況報告をしたり他愛ない話をして、再び会う約束をして別れました。

その後寄り道をして家に帰ったのですが、何かを忘れてるような思い出しそうな、でも思い出せない、ひどくもどかしい感じが続きました。

そのもどかしい気持ちを引きずりながらシャワーを浴びると、今まで、特に思い出したくなかった記憶がどっと押し寄せてきました。

おぞましくて気持ち悪くてどす黒くてこの世のものとは思えない気持ちが頭の中をめぐりました。

とにかくシャワーを終えて、その後はあまり覚えてません。

ただ、恥ずかしい話ですが、よく泣きました。


他の虐待サバイバーの方も経験しているでしょうが、フラッシュバックはなかなかに厄介です。

傷は癒えるものではありません。

一時的に見ないようにしているだけで、見れば生々しい傷が残っています。

傷を見ない時間を増やすか減らすかだけで日々生活の質が変わっているような気がします。


写真を写してる時は、写す対象に集中できるので色んなことを忘れることができます。

写される人も緊張やカメラを通して行われるコミニュケーションで、しばし特別な時間と空間が生まれることで見たこともない自分が姿を表すことがあります。

そして写された写真はその特別な時間と空間がずっと残るものです。

その中にいる自分や皆さんはどんな表情をしているでしょうか。

虐待サバイバー写真展

親からの虐待を経験し、それでも親の手から生きのびたサバイバー達の「生きている」写真を撮っています。 これから先の道に希望が満ちていくような願いを込めて作ったサイトです。 15人の被写体の方の応募は締め切っています。この後、虐待サバイバー写真展は、書籍化、実際の写真展に向けて動き出します。